エリーゼの調子が芳しくなく、センサー類の全チェックなど私が確認できる事は尽きた。 高回転でのパワーが出ないだけでなく、2000回転以下でもエンジンがバラつき、街乗りでさえもマトモにこなせなくなり車庫の肥やしとなる日々が続いた。
年末に111cupの年間表彰式への誘いが来ていたが、マトモな成績が残せていないことからテンションが上がらず欠席。 もはやレース仲間からも私の存在が忘れかけられている状態である。
何度も書いているが、私はクルマの具合が悪くなると病んでしまう。 それは心であったり身体であったり。 今は心も身体も蝕まれている状態で、憂鬱な日々が続いている。 このままでは二度と這い上がれなく成りそうなので、思い切ってエリーゼを某氏に預けることにした。
某氏に私の為し得なかった不調原因となりそうな事を一つずつ潰していただき、尚且つ、私のクルマをもう一度サーキットで戦える状態にして欲しいと依頼した。 悲しい事に予算は限られているので、取り敢えずは心配せずにサーキットを気持ちよく走れる状態にして欲しいとお願いしている。
開始早々、今まで殆ど我流で整備していた部分に幾つかダメ出しを頂いた。 不調とは関係ないところだが、左後ろのブレーキパッドの減りが他のパッドと比較して摩耗が進んでいる事を発見した彼。 この状況を私は知っていたが、彼はジャッキアップしてタイヤを揺すった。 次に彼が車の下に潜り、私にタイヤを揺すれと言う。
「駄目ですね」
「リンク類のガタではなく、ハブベアリング逝ってます」
私がタイヤを揺すってみても違和感を感じなかった。 サーキットを走っても違和感を感じなかった。 私の劣化が著しいのか、彼が素晴らしすぎるのか、何れにしても恥ずかしい状態で走っていたことに自己嫌悪。
彼は職人。 屈託のない笑顔の中に彼なりの持論があるが多くは語らない。 2017年の「ひとりごと」は私のクルマが復調するまでの道のりを彼の作業と私の目線で記録していこうと思っている。 どうか、どこかで私の車を見つけても彼に根掘り葉掘り聞くのはご遠慮頂きたい。 何れ、この場で全て明かすので。
そんな彼が怪しいと感じているところは2つあり、その1つは今行っている作業。 そしてそれが上手く行かなかったら覚悟してくださいと言われている。 覚悟しなければならないのは彼が過去に私と同じ年式の車両で経験している経年劣化によるものらしいが、とても面倒で費用が嵩む。
話をもとに戻そう。
次のダメ出しはブレーキパッドの減り具合。 確かにそのパッドは減りが進んでいたが、抑々こんなに減るまで使っては駄目だと言われてしまった。 タッチが良くないし、パッドが減るとピストンが露出してピストンの劣化が起きた状態で走るとシリンダーに傷をつけてしまうとともにピストンの偏摩耗も起こる。 更に、減ったパッドで走り続けるとキャリパーが開く原因にも成る。
貧乏性な私はケチってギリギリまでパッドを使ってきたが、ストックしていたパッドが見つかったので、年末の忙しい時に前後とも愛用しているパフォーマンスフリクションを彼の元に届けた。 パフォーマンスフリクション、略してPFCと呼ぶ人のほうが今は多い。 いつの間にかパッドの箱もPFCと書かれるようになった。 もう四半世紀ほどコイツに惚れ込んで使い続けている。
私の好きなコンパウンドは97番。 ところが国内を探しても見つからず、調べてみると既に生産は中止したとか。 ネットを駆使して探し回ると米国のとあるサイトがヒット。 数年前に仲間たちとともに米国から在庫全て、10セットほど買い占めた。 もう使い切ったと思って年末にエリーゼパーツから現行品番を注文したが、年末の大掃除で新品ローター4枚とともに出てきた。 こんな記憶力ではパーツのストックリストも作成する必要がありそうだ。
スタンダード18Kエンジンを手に入れた。 これで漸くクルマを復活させるための主となるパーツが揃ったので作業が始められる。 ヘッドはストックしておいたVVCエンジンを使用する。 程度の良いVVCエンジンが入手困難となってしまった事から所謂ニコイチだが、幾つかの新品パーツや強化品を組んで仕上げる。 冷却水にエンジンオイルが交じるように成り、オイル漏れの激しくなった今まで使っていたエンジンはそのまま保管し次回に備える事にした。 復活に向けての本格的な作業は年明けから開始するとのこと。 久しぶりにワクワクしている。 大いに期待したい。
11月と12月は1回ずつツーリング、ソロキャンプツーリングは11月に中部方面へ、12月は袖ヶ浦フォレストレースウェイのライセンス更新の序に内房を少しだけ走ってきたが、やはり私は寒がりなので寒い時期のオートバイは長く走れない。
■20161105-06 W800
寸又峡、奥大井湖上駅、矢筈ダムキャンプ場、下栗の里、しらびそ高原 730km
静岡県の寸又峡は吊橋周辺が美しく、一度は見る価値があるとか。 紅葉には少し早いかなと思いつつ、セッカチなので思い立ったら即行動。 北海道のソロキャンプツーリングが良すぎたのか、将又、1年で2万5千キロも走って些か飽きてしまったのか、ソロキャンプツーリングに行く気が余り起きなかったのだが、折角思い立ったのでテンションが落ちる前に後先考えずにパッキングし、殆ど計画なしの状態で出発。
思った通り、紅葉には早かったが、水の色がとても綺麗。 橋の中心で祈りを捧げると恋愛系の思いが成就するという吊橋らしいが、一般的なお願いのみしておいた。
この時期は吊橋が一方通行となっており、橋を渡り終えると340段だったかの階段を登らないと戻ってこられない。 340段など楽勝さ、と意気込んで登り始めたが思っていたよりキツかった。 それでも意地でハイペースのまま。 ふーふー言いながら登り終えると、こんな休憩所があった。 確かに「やれやれ」と一息つきたいところだ。
時刻は8時。 天候に恵まれ青い水に青空が写り、青が一段と深まって美しい。 この時、山の寒さを感じたのだが、冬となった今ではこれを見ても寒さを感じない。 それに随分と前のような気がする。
例によって観光客が来る前に退散。 次は少し離れているが奥大井湖上駅へ向かった。 此方もこのあたりでは有名所というので話の種にと訪れてみた。 人が住んでいるわけでもない所に有る駅。 しかも湖の小島。 此処も錦秋の時期か新緑の時期に訪れる場所だろう。
本日の目的地は以上。 その後、とある所で幕営しようと思っていたのだが、周囲はファミリーキャンパーばかり。 私が最も苦手とする雰囲気なので、とっとと退散。 どこか鄙びたところはないかと検索すると、かなり離れたところに良さそうなところを見つけた。
相変わらず事前準備が甘いのだが、今まで予定を綿密にたてた旅ばかりしていた反動か、冒頭に書いた通りソロキャンプツーリングは緩い感じで気ままに行動している。 いや、寧ろそのためのソロキャンプツーリングと言っても良い。
矢筈ダムキャンプ場という無料キャンプ場を利用したのだが、トイレ以外に何もない。 そして町からは離れている。 周囲に買い物ができるところもない。 私のような捻くれ者には打ってつけで、こういうところにファミリーキャンパーは来ない。 夜中に若者がワンボックスでやってきたのは想定外だったが、それほど大騒ぎする連中ではなかったのが救いだった。
翌日は早朝に起きて下栗の里へ。
此処は比較的知名度の高い場所なので時間が経つと観光客で溢れかえる恐れがある。 早朝だが既に何人か居た。 どうやら、朝日に照らされる下栗の里を撮りたいマニアが集まっていたようだ。
此処も紅葉の時期か新緑の季節が良いだろう。
次に訪れたのは、しらびそ高原。 周囲より一段高い場所なので山の稜線が拝めて美しい。
この周囲では紅葉が始まっており、モミジの近くにバイクを止めていたら綺麗な色をした葉が舞い降りてきた。
袖ヶ浦フォレストレースウェイへとサーキットのライセンス更新に行ったのだが、この日はクラシックなレーシングカーが野太い音を轟かせていた。 袖ヶ浦フォレストレースウェイはこのようなクラブマン的な草レースがよく似合う。 ただし、ホームページには何も書かれていないので、なんのイベントが開催されているか現地に行かなくてはわからない。 これは勿体無いと思う。
この日、見学者の中に初期型ロータスヨーロッパが来ておられたのだが、そのドライバーはご婦人。 クルマもご婦人も格好良い年の取り方をされているなと羨ましく思えた。 私もあの方のように歳を重ね、エリーゼで朽ち果てるまでサーキットに通いたい。 ロータスはこうありたいなと思った、飾っておくクルマではないので。
その後、とある渓谷へと向かったのだが、余りに観光地化されていて辟易。 止まることなく行き先を変更。 観光地化されていない灯篭坂大師へと向かい、地層の綺麗なトンネルでしばし一人佇んだ後に帰宅した。 此処は光と影のコントラストが美しく、写真の腕があれば素晴らしい1枚が撮れるのだが、残念ながら私の腕では素材を生かせられなかった。